あゆみ
 近代日本が黎明(れいめい)期にあった1879(明治12)年1月4日、山陽新聞の前身、山陽新報は、岡山の地で産声を上げました。創業者は20歳の青年、西尾吉太郎。

 「普子(あまね)ク山陽ノ事情ヲ寫出(しゃしゅつ)シ世間有益ノ事ヲ論述シ...」

 くまなく山陽地方の出来事を記事で表し、社会に有益な事柄を述べる、という意味です。初代主筆の小松原英太郎は創刊号の社説でこううたい、地域に根差した公器への決意を示しました。1892(同25)年7月30日、後に代議士となる坂本金弥が中国民報を発刊します。山陽新聞のもう一つの前身です。両紙は激しいシェア争いの末、1936(昭和11)年12月1日に合併、合同新聞が生まれました。

 現在の山陽新聞に題号を改めたのは、戦後間もない48(同23)年5月1日でした。「山陽」は地勢、交通上だけでなく経済的、文化的にも中四国の根幹をなす―との理由で3万612に及ぶ一般応募の中から選びました。

 岡山市北区柳町のオフィス街に建つ現在の本社ビルは2006(同18)年8月1日にオープン。地上20階の「メディアタワー」を拠点とし、山陽新聞は創刊の精神を胸に歩み続け、歴史を刻みます。地域とともに。

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 年表
1879(明治12年)
西尾吉太郎により「山陽新報」創刊。主筆は小松原英太郎。定価1部1銭5厘
1882(明治15年)
民権伸張の論陣を張る山陽新報に、高崎五六岡山県令が発行停止命令(51日間)
 
1892(明治25年)
坂本金弥により「中国民報」創刊第1号発行。定価1部1銭
1921(大正10年)
両社とも朝夕刊発行体制に
 
1936(昭和11年)
12月1日、両社合併し、合同新聞社が発足。「山陽中国合同新聞」を発行
1937(昭和12年)
題号を「合同新聞」に改める
 
1941(昭和16年)
県内各紙を合併、一県一紙の体制確立
 
1945(昭和20年)
空襲で全施設を焼失。 疎開工場でタブロイド判を発行
 
1948(昭和23年)
創刊70周年を記念し「山陽新聞」に改題。社名も「山陽新聞社」に改める
1960(昭和35年)
「ガン・シリーズ」が新聞協会賞を受賞
1961(昭和36年)
本社新社屋が完成
1966(昭和41年)
紙齢30、000号達成。「心身障害児に愛の手を」のキャンペーンが新聞協会賞を受賞
 
1969(昭和44年)
朝刊発行部数30万部を突破
 
1979(昭和54年)
創刊100周年。「瀬戸内2001大博覧会」を開催(93日間)
 
1980(昭和55年)
「岡山県大百科事典」を刊行
 
1981(昭和56年)
連載企画「あすの障害者福祉」が新聞協会賞を受賞
1982(昭和57年)
朝刊発行部数40万部を突破。新聞製作センターが完成、オフセット印刷開始
1986(昭和61年)
CTSへ全面移行。鉛活字時代が終わる
1987(昭和62年)
連載企画「ドキュメント瀬戸大橋」が新聞協会賞を受賞
1988(昭和63年)
「瀬戸大橋博'88」を開催(165日間)
 
1989(平成元年)
コンピューターによる新聞製作システム「サンシャイン」始動
1990(平成2年)
倉敷に印刷センター完成。分散印刷を開始
 
1994(平成6年)
紙齢40、000号達成
 
1995(平成7年)
「幸福(しあわせ)のかたち-福祉県・岡山を問う」が新聞協会賞を受賞
1996(平成8年)
40ページ・12カ面カラー体制スタート
 
1997(平成9年)
「備前焼 千年の伝統美展」をフランス国立陶磁器美術館で開催
 
1999(平成11年)
創刊120周年記念の地域貢献事業を展開
 
2001(平成13年)
新聞製作システム「サンシャインⅢ」稼動
2004(平成16年)
新本社ビルを着工
2006(平成18年)
新本社ビルが竣工。第59回新聞大会が岡山市で開催
2007(平成19年)
第12回NIE全国大会岡山大会を開催
2008(平成20年)
40ページ・20カ面カラー体制、新聞製作システム「サンシャインⅣ」稼働
 
2014(平成26年)
創刊135周年、12段組み新紙面レイアウト始まる
会員制電子版「山陽新聞デジタル」創刊