新聞協会賞受賞歴

 山陽新聞社は「がん・シリーズ」(1960年度)を皮切りに、「幸福(しあわせ)のかたち―福祉県・岡山を問う」(95年度)まで、新聞社にとって最高の栄誉となる新聞協会賞を5度にわたり受賞しています。

 このうち4度が医療・福祉をテーマにした連載企画。社会的な弱者に光を当て、いのちの重みを見つめる報道を心がけてきました。また「ドキュメント瀬戸大橋」(87年度)では、100年にわたる骨太の架橋ドラマを展開。いずれも地域の視点に徹した報道姿勢が評価されました。

がん・シリーズ(1960年度)

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分かりやすい医学記事を目指し、最初の新聞協会賞を受賞した「がん・シリーズ」

医学記事 親しみやすく

 当時、"文明病"として脳卒中に続く死亡率第2位にまで死者が急増した「がん」。岡山県内の対がん運動の盛り上がりに合わせ、1959年5月から60年2月まで、「分かりやすく、読みやすく」をモットーに連載しました。

 「ガン追放のために」では、胃、子宮、乳、肺などがんの種類や治療法を患者の経過記録やデータを交えて解説。早期発見・治療の重要性を訴えた。大学や県、財界などが結束した地域のがん追放運動の動きも伝えました。

 「アメリカの対ガン運動」では、メディアも含め官民あげてがん追放に乗り出し、患者の救済に成果を上げつつある様子を紹介。がんの病理を深く掘り下げた「ガンとのたたかい」は、現状と将来のがん克服の道を追究しました。

 元来、とかく難しくて親しみにくいといわれた医学記事を、キャンペーン風に取り上げたのは画期的で、新聞紙面に新たな一面を切り開いたとして注目されました。

社会の片すみに 心身障害者に愛の手を(1966年度)

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重度心身障害児に光を当てた連載が設立につながった「旭川荘療育センター児童院」=岡山市北区祇園

見捨てられた存在に光

 1965年8月スタート。社会に知られることなく生きていた重症心身障害児に焦点を当て、「社会の片すみに」「脳性小児マヒ」「母と子の記録」など連載は66年4月まで84回に及びました。

 当時、心身のダブルハンディがある重度障害児を受け入れる施設は全国に3カ所しかなく、いわば世間から"見捨てられた"存在だった。周囲の支えもない孤独で過酷な日常の中で、わが子をいとおしく育てる親子などを紹介。福祉行政と医療の問題点を指摘し、社会が正面から障害児に向き合い、手を差し伸べる必要を訴えました。

 受賞は「障害児に対する行政面をはじめ、世間一般の理解を強く要請したこと」が評価されました。

 連載と同時に山陽新聞社会事業団と共同で、重症心身障害児に施設を贈る運動を展開。募金は全県に広がり、善意の建設資金約1400万円が集まりました。これらは、旭川児童院(旭川荘療育センター児童院)建設の資金となりました。

あすの障害者福祉(1981年度)

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オランダの授産場で仕事に励む障害者。連載では欧米や東南アジアも訪ね障害者福祉の実情をリポートした

国内外の実態浮き彫り

 1980年11月から81年6月まで、7部構成で計142回のロングラン。国際障害者年(81年)を先取りし、障害者を取り巻く問題をあらためて多角的に取り上げました。

 出生から就学、結婚までの障害者の歩みを克明につづった「生きる」、挫折と奮起、失望と期待を繰り返しながら、ハンディや社会の厚い壁と闘う姿を描いた「自立」のほか、重症心身障害児の施設での生活、障害者医学の現状にも触れた。欧米8カ国リポートでは、「われら仲間」の連帯意識のもと、障害者と市民が支え合い、いたわり合う先進地の姿を紹介しました。

 キャンペーンと並行して「ふれあい募金」を実施。1億円以上が集まり、岡山、広島、香川県へ寄託しました。

 施設に1カ月体験入園するなど、障害者とその家族に密着した取材は、新聞協会賞の受賞理由で「国内外の障害者福祉の実態を浮き彫りにし、地域社会はもとより、行政、福祉関係者などに大きな反響を呼び起こした」とされました。

ドキュメント瀬戸大橋(1987年度)

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順調に工事が進む瀬戸大橋を視察する吉田巌本四公団理事(当時、右端)=1986年12月、南備讃瀬戸大橋の空中足場

架橋の歴史をつぶさに

 瀬戸内海で1955年に発生した宇高連絡船・紫雲丸の沈没事故を教訓に機運が高まった本四架橋構想。世紀の建設にかかわった人々を通じ、完成までの歴史をドキュメンタリータッチで描いた架橋史の集大成。

 87年1月に始まった第1部の「ルート争い」から8月の第7部「つち音」まで、77回にわたって連載。取材班は膨大な資料に当たる一方、地元・岡山をはじめ首都圏や大阪、四国など各地にちらばる300人超の関係者に取材しました。

 着工優先順位をめぐる瀬戸内沿岸各県の誘致合戦や技術陣の新工法開発の苦労、し烈を極めた漁業補償、総需要抑制による突然の着工延期など、巨大な国家事業の裏側に秘められた政治の駆け引きや、"橋男"たちの人間模様をあますところなく描きました。

 「大土木工事が持つ社会的意義を啓発し、それを支える技術の価値の紹介に大きな貢献をした」として、同年度の土木学会賞(著作部門・特別賞)にも選ばれました。

幸福(しあわせ)のかたち 福祉県・岡山を問う(1995年度)

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『ボランティア元年」という言葉も生んだ阪神大震災。「支え合う」生き方が日本にも根を下ろし始めた=1995年2月、神戸市須磨区

支え合いの未来考える

 世界のどの国も経験したことのないスピードで少子高齢化が進む日本。大きく変わる「福祉」のありようを記者が地道に地域を歩いてルポ。戦後50年の節目の1995年1月から7月にかけ、計94回連載しました。

 終戦直後に戦災孤児を受け入れた教護施設、児童養護施設の子どもたちと取り巻く社会を取り上げた第1章「丘の向こうに」、生存権を初めて問うた朝日訴訟、生活保護の在り方を検証した第2章「豊かさの裏側で」では、福祉に対する日本人の意識を探りました。

 第3章から7章の「地域で支える」「ボランティアって?」「町をつくる」「自立する家」「明日をつかむ」までは、「健やかに老いる」ために支え合い、自立し、創造していく地域の福祉がテーマ。95年1月発生の阪神大震災で被災した神戸の町にも入り、立ち上がる地域コミュニティーや「ボランティア元年」といわれた現地の活動も取材しました。

 連載に呼応し、自治体や地域で活動の輪が広がり、福祉の将来を考える契機ともなりました。


新聞協会賞 新聞(通信・放送を含む)の信用と権威を高める活動を促す目的で、1957年創設。編集、技術、経営・業務部門があり、編集には「ニュース」「写真・映像」「企画」の3部門がある。日本新聞協会加盟社(約140社)に対し、毎年10月の新聞週間に際して贈られる。