1992年4月生まれ。5歳で将棋を始め、倉敷市大山名人記念館の教室で腕を磨く。 小学5年で小学生の全国大会「倉敷王将戦」優勝。小6で関西奨励会に入会。2010年、四段に昇段。岡山県出身者として27年ぶりの棋士になった。11年8月五段、15年3月六段、同11月七段。17年度「第58期王位戦」で羽生善治王位=王座、棋聖=を対戦成績4勝1敗で下し、初のタイトル獲得。 通算250勝93敗(2017年9月6日現在)。井上慶太九段門下。岡山市出身・在住。
岡山県出身棋士のタイトル獲得は34年ぶり
挑戦者で後手の菅井七段が紙一重の攻防を制し、144手でタイトル戦初陣を勝利で飾った。
居飛車に構えた羽生王位に対し、菅井七段は三間飛車から得意の向かい飛車に組み直して対抗。羽生王位が角打ちからの攻めを見せると、菅井七段は手厚く受け、難解な局面に。2日目は互いに好形を築こうと、緊迫した駆け引きが続いた。夕方に入り羽生王位が玉頭から攻めたが、菅井七段が好手を重ねて切り返し優勢に。羽生王位の勝負手にも冷静に対応した。
先手の菅井七段が103手で羽生王位を下した。初日から一度もリードを許さない会心譜だった。
“振り飛車党”らしく飛車の活用を狙った菅井七段に対し、銀冠に組んだ羽生王位は守りの堅さを生かす指し回し。51手目から再開した2日目は、得意の戦型で主導権を握った菅井七段が手厚い指し回しを続け、羽生王位を手詰まりの状況に追い込んだ。局面打開を狙い羽生王位が攻めに出たところを鋭く切り返して一気に優勢となり、そのまま押し切った。
羽生王位が王者の意地を見せ、137手で菅井七段を退けた。菅井七段は初黒星。
先手の羽生王位の居飛車に、菅井七段は向かい飛車で対抗。第1局と似た形から、羽生王位が角を絡めながら厳しい端攻めを展開した。菅井七段は相手の玉頭から反撃の機会をうかがった。2日目に入ってからも菅井七段は反撃のチャンスをうかがっていたが、羽生王位の攻めを切らすことができず劣勢になった。逆転の望みをかけた勝負手も届かなかった。
菅井七段が111手で羽生王位を下し、3勝目。初タイトル獲得へ王手をかけた。
先手の菅井七段が、相振り飛車から2手損で居飛車に戻す珍しい序盤戦になった。羽生王位は自陣を充実させてから攻めに出たが、菅井七段が反撃。羽生王位は守勢に回るか、攻めを継続するか判断の難しい局面で長考し、そのまま46手目を封じた。2日目は羽生王位の攻めが途切れたところを、菅井七段が巧みな指し回しを見せ、最後は落ち着いて寄せ切った。
2003~16年度
順位戦B級2組の最終局で、B級1組への昇級を決めた。同じ8勝2敗で並んだ棋士もいたが、今回は順位の差で昇級を果たした。「強豪との対局が増えるのは純粋に楽しみ」。11月の「大山名人杯倉敷藤花戦」(倉敷市)や、2月の「王将戦」(岡山県矢掛町)で大盤解説を担当した。
第56期王位戦の挑戦者決定戦(6月8日)で広瀬章人八段に惜敗、初のタイトル戦進出を逃した。第46期新人王戦決勝3番勝負では10月19日の最終局で奨励会員の大橋貴洸三段を破り、新人王に輝いた。順位戦B級2組は8勝2敗で首位に並んだものの、順位の差で昇級はならなかった。
3月の順位戦最終局で勝ち、B級2組への初昇級と3年ぶりの昇段を決めた。年間成績も目覚ましく、第42回将棋大賞で勝率1位賞(7割9分6厘)、最多勝利賞、升田幸三賞の同時受賞につながった。コンピューターソフトとの再戦では苦杯をなめたが「すごくいい経験。今後に生かしたい」。
5月21日に通算100勝を達成した。それまでの対局数は136で、記録が残る1975年以降では羽生善治3冠の127に次ぐ速いペースだった。「日ごろ応援してもらっている地元に恩返ししたい」と、小中学生を指導する「菅井教室」を倉敷市大山名人記念館で9月からスタートさせた。
前年度成績が評価され、4月に第39回将棋大賞「新人賞」を受賞。「将棋の内容もつくりも精度は上がっていると思う」と手応えを語った。順位戦C級2組を9勝1敗とし、C級1組への昇級を決めた。「振り飛車」の最新の指し手を解説する初の著書「菅井ノート 後手編」を刊行した。
8月の「大和証券杯ネット将棋・最強戦」決勝戦で村山慈明五段に勝ち、公式戦初優勝。1回戦で羽生善治2冠を破る金星を挙げるなど、日本将棋連盟役員会が「類まれなる成績」と認め、五段に昇段。一方、順位戦C級2組は9勝1敗の好成績ながら昇級できず、2年連続で残留が決まった。
6月11日に初の公式戦・第82期棋聖戦1次予選に臨み、1回戦で神崎健二七段、2回戦で里見香奈倉敷藤花・女流名人に勝利した。翌7月にはプロデビューを祝うセレモニーが、55年の棋士生活にピリオドを打った有吉道夫九段=備前市出身=をねぎらう会と合わせて岡山市で開かれた。
「本当にうれしい。公式戦で自分の力を試すことができるのが楽しみです」-。2月21日のリーグ戦2局の連勝で通算14勝2敗とし、残る対局で連敗しても昇段条件の2位以内となることが確定。岡山県出身では有森浩三七段以来27年ぶり、戦後5人目のプロ棋士となることが決まった。
将棋に専念するため入学1カ月足らずで高校を退学した。プロ棋士への最終関門となる奨励会三段リーグには4月から参戦。10月からの「第44回リーグ戦」は一時首位に立つなど奮闘したが、最終2局でまさかの連敗。プロとなる四段昇段を逃した。「まだまだ弱い。勉強し直して頑張ります」
当初の6級から順調に昇級・段を重ね、07年6月に二段昇段。岡山から大阪まで新幹線で通い、会員や棋士との勉強会に参加しにくいといったハンディはあったが、ネット対局や棋譜並べなどで熱心に研究を重ねていた。その後も快進撃は続き、同10月には三段リーグ入りを決めた。