「復興と地方紙」
■最後の一人まで

岡山で暮らす多くの人にとって、西日本豪雨はそれまでに経験したことのない大きな災害でした。決壊したいくつもの河川、2階まで泥まみれになった家屋、道端で横転している車…。「元通りになるのだろうか」。被災後に初めて倉敷市真備町地区に入った時、正直、そう思いました。
それが1年も経つと、国道沿いの風景は以前の姿をほぼ取り戻し、被災直後の様子を思い返すのが難しいほどに。しかし、一歩中に入れば更地が広がり、傷ついたまま手付かずの住宅も点在していました。住まいの確保にめどが立たないまま仮設住宅での生活を余儀なくされ、将来展望を描くことができない被災者がまだまだ大勢いました。「取り残された気がする」というつぶやきが、胸に刺さります。
西日本豪雨では、県内だけでも多くの地域に被害が出ました。「死者●人」「全壊家屋●戸」…。マスコミはこうした数字で被害の甚大さを表します。でも、数の大きさだけでは実態は見えてきません。そこに含まれた1人1人、1戸1戸に焦点を当て、最後の1人が日常を取り戻すまで寄り添い続ける。災害の検証とともに、それこそが地方紙記者の果たすべき役割だと考えています。
■願いを込める

人は誰しも「伝えたい」「分かってほしい」という思いをどこかに持っています。被災直後は話を聞けなかった人も時間がたつにつれ、ぽつりぽつりと当時の状況や不安を打ち明けてくれました。
全壊した自宅の修理代が用意できず、壁などを独りで直していた高齢男性。被災で認知症の症状が悪化した母親を抱え、懸命に生活再建を図る会社員男性。狭い仮設住宅で受験勉強に集中できない中学3年生…。
記事が取材相手の置かれた状況の改善につながり、少しでも肩の荷を下ろせるきっかけになれば。そう願いながら現場に通い、取材を重ねました。
笠岡支社主任
2001年9月入社。経済学部卒。社会部(現報道部)、笠岡支社、経済部、勝英支局、報道部、新見支局長などを経て25年6月から現職。報道部在籍時は、倉敷市真備町地区をはじめとする西日本豪雨の被災地を幅広く取材。豪雨をテーマにした年間企画に2年連続で携わった。
