INTERVIEW

- 西日本豪雨 その時地元紙は -

(写真はコロナ禍以前に撮影したものもあります)

「地元紙の記者として」


■現場に立つ

 わずか数日の雨で日常はもろく崩れ去り、町の機能は飛んでいました。現地入りした当初は、地元紙としてその衝撃を詳しく伝えなければと考えました。その後さまざまなテーマで報じましたが、忘れてはいけないのが「被災者の視点」です。現場を歩き回り、つぶさに見る、聞く、感じる。悲しみや怒り、苦しみに触れ、それを世に伝える。それが記者の役割です。「見聞きしたことを世に出せるのは自分しかいない」。後輩には繰り返し伝えました。

 犠牲者の人となりを紹介する記事もそう。数字だけでは亡くなった人の人生はわかりません。この町に住み、平穏な日々を送って生きた人が確かにいた、と伝える。それは災害の重みに向き合い、読者に「こんな災害を繰り返してはならない」と感じてもらうことにつながります。それなくして、決壊した河川の安全性や避難指示の在り方の検証など、ないのです。

 安全な岡山にするためにはどうしたらいいのか。深く、厚みを持って報じていくのが、地元紙としての責務だと考えます。


■若い人たちへ

 インターネット社会になり、誰もが知りたい情報を瞬時に得られる時代になりました。でも、そもそもそのニュースは誰が発信しているのかと言えば、記者、です。「新聞はいらない」という人も、結局そんなニュースに触れているのです。

 今回の豪雨に限らず、あらゆるニュースの現場に、記者は立っています。誰かから聞いたあやふやな話でなく、密な取材を重ねて得られた結果を事実として報じることに、社会的な使命感を感じているからです。確かに楽な仕事ではないし、むしろ苦しいことの方が多いです。でも、経験を繰り返しながら、何がニュースなのか、何を伝えなければならないのかという感性を磨き、取材相手を思う人間性を高め、「世の中をよくしたい」と記者は奮闘しています。

 新人記者たちは、今回の豪雨取材を通じ、「記者」が人の生死に触れる仕事であることを痛感し、その重みを知ったのでしょう。顔つきが変わりました。

 立場の弱い人、声をあげられない人など、声なき声を拾うのが私たちの仕事です。若い記者、これから記者を目指そうと思う人たちには、現場に立つことの意義を、心に留めてほしいと思います。



平田 桂三(ひらた けいぞう)

読者局吉備の環プロジェクト推進センター副主管

1999年4月入社。教育学研究科修了。社会部(現報道部)、新見支局、岡山ネットワーク出向、井原支局長などを経て、2011年9月から社会部(現報道部)、23年12月から現職。