「復興と地方紙」
■最後の一人まで
岡山で暮らす多くの人にとって、西日本豪雨は、それまでに経験したことのない大きな災害でした。「元通りになるのだろうか」。被災後初めて倉敷市真備町地区に入った時、正直、そう思いました。
それが1年も経つと、国道沿いの風景は以前の姿をほぼ取り戻し、被災直後の様子を思い返すのが難しいほどになりました。しかし、一歩中に入れば更地が広がり、傷ついたまま手つかずの住宅も点在しています。同地区では今も2000世帯余りが仮設住宅での生活を余儀なくされ、将来展望どころか、住まいの確保すらままならない人が、まだ大勢いるのです。被災者の「取り残された気がする」というつぶやきが、胸に刺さります。
西日本豪雨では、県内だけでも多くの地域に被害が出ました。「死者●人」「全壊家屋●戸」…。マスコミはこうした数字でその甚大さを表します。でも、数の大きさだけでは実態は見えてきません。そこに含まれた1人1人、1戸1戸に焦点を当て、丁寧に追っていかなければ。最後の一人が日常を取り戻すまで、復興の道のりに寄り添い続けること。災害の検証を行うとともに、それこそが、地方紙記者の果たすべき役割だと考えています。
■願いを込める
人はだれしも、「伝えたい」「わかってほしい」という思いをどこかに持っています。被災直後は話してくれなかった人が、1年過ぎて、ポツリポツリと打ち明けてくれることがあります。その思いに応えたい、と思っています。
被災の程度はさまざまで、復興の進み具合にも幅があります。今後は被災者の中で「復興格差」が広がっていく心配もあります。悩み苦しんでいる人がいることを、忘れてはならないのです。
取材相手の置かれた状況が少しでも良くなりますように-。誰か一人でも、記事を読んで救われた気持ちになってくれたなら-。そう願いながら、今日も、これからも、被災地と被災者に向き合っていく覚悟です。
新見支局長
2001年9月入社。経済学部卒。社会部(現報道部)、笠岡支社、経済部、勝英支局、報道部などを経て21年9月から現職。報道部在籍時は、倉敷市真備町地区をはじめとする西日本豪雨の被災地を幅広く取材。豪雨をテーマにした年間企画に2年連続で携わった。