戻る

メッセージ

※年齢は2021年6月28日現在
地元の消防団へ、ありがとう
  • 倉敷市真備町尾崎、男性会社員(52)
     自宅1階が浸水し、2階に避難したが、次の日食料も尽きた頃、地元の消防団の人がボートで食料を配ってくれた。危険を顧みずありがたいことでした。ありがとう。

「今を生きる」
  • 倉敷商業高、書道部部長3年松野愛海さん(18)
     2018年8月4日、私たちの先輩が倉敷市真備町地区の岡田小を訪問。避難所となった体育館に大作「今を生きる」を掲げていただいた(同じ作品を同町地区の二万、薗小にも掲示)。訪問後、岡田小へ避難されていた76歳の女性から学校にはがきが届いた。「皆さんの書を朝見て一日頑張る力をもらい、夜は今日の無事を感謝し眠りについた」と。はがきの内容に涙した先輩もいたそうだ。故郷への思い受け継いでいく、私たちも。

避難所で近所の人に会えほっと
  • 総社市下原、主婦川田順さん(79)
     豪雨時のアルミ工場大爆発。「何が起きたんか」と100歳で難聴の母が出てきた。天井の一部が落下、窓ガラスが割れているが、けがはなかった。公会堂で地区の災害対策を練っていた夫が額から血を流して帰宅、手当てする。避難所に向かう市のバスが来ているというが、すぐ用意は無理と車で行くことを決めた。深夜、母を抱え必死でハンドルを握る。「運転上手じゃなぁ」と母が褒めてくれた。避難所で近所の人に会えてほっとした。

“ディカプリオさん”に感謝♡
  • 倉敷市真備町川辺、自営業渡辺光子さん(55)
     一生に一度あるかないかの、どえらい体験をしました。長引く避難所生活の一こまで、防衛省の宿泊支援サービスに目が留まり「とっても豪華なチャーター船でタイタニックができたら幸せ♡」と、淡い期待に胸を膨らませ参加しました。幸運にも若い自衛官がたくさんおられ、私の夢をかなえてくれました。笑いをこらえながらも快く対応してくださったディカプリオさんに感謝です。とことん楽しみ自分らしく生きようと決め今に至ります。

孤独感を笑顔に変えてくれた
  • 倉敷市真備町川辺、保育士長通文江さん(58)
     ボランティアに来てくださった皆々さまに心より感謝申し上げます。中でも倉敷市災害ボランティアセンター(当時)の中にあり、家財の搬出やボランティアの送迎に当たっていた車両班の皆さまのユーモア、知恵、力強さとチームワークは、様変わりした町や自宅への絶望感、みなし仮設暮らしの孤独感を笑顔に変えてくださいました。自宅復興のめどが立ってからは、夫と車両班に参加して一緒に汗を流す時が、夫婦の心の復興でした。
人に手を差し伸べられる人間でいたい
  • 岡山市中区四御神、主婦川上美恵さん(67)
     倉敷市真備町地区の自宅の玄関に水が入り、げた箱が倒れ、2階へ駆け上がる時に水が追い掛けてくる。電源の切れる音、物の倒れる音を聞きながら2階に。死を覚悟した一晩。近所の方の息子さん2人が親を助けるためゴムボートで来て私たち夫婦も助けてくださった。勇気ある行動に感謝しかない。月日は流れ、いろいろな思いも出てくる。あの時の覚悟。人に対する感謝。忘れることなく何かの時には、人に手を差し伸べられる人間でいたい。
異変を知らせてくれた愛犬
  • 倉敷市真備町箭田、主婦大戸栄さん(74)
     愛犬チョコンの鳴き方がいつもと違うと外に見に行った息子が、「もうだめだ」と一言つぶやいた。水がすごい速さで迫ってきて、自宅2階まで漬かり、家族4人は屋根に上がり夜明けを待った。気になっていた犬は、水に浮いていた畳の上にチョコンと乗っていて孫がボートで助けてくれた。たまたま息子がいてくれたことと、異変を知らせてくれた犬のおかげで今日があることに感謝している。水恐怖症になった愛犬の散歩が私の今の日課になっている。
隣人の助けに感謝
  • 倉敷市真備町尾崎、主婦三宅敬子さん(71)
     豪雨から3年。しかし昨日のことのように覚えている。隣のUさん一家が「敬ちゃん避難しよう」と声を掛けてくださったのが7月6日午後10時ごろだった。わが家には車椅子の夫がいる。「無理だから皆さん行って」とお断りしたが、ご夫妻、息子さんが夫を抱え2階に上げてくださった。隣の車が浸水しているのを見ていたが、わが家に水が来るとは思いもしなかった。あの時、Uさん一家が助けてくださらなかったら今の日々はない。感謝してもしきれない。
土石流発生「山が泣いて」いた
  • 岡山県矢掛町浅海、農業渡辺和彦さん(74)
     西日本豪雨は私の住む矢掛町も襲った。避難指示で近くの公民館へ避難。7月7日午前2時ごろ、山が異常な音を発した。山が泣いている。10~15秒だと思うが異常に長く感じた。夜が明けると土石流が発生していた。土石流を受けた家では暑い中、住民総出で土を取り除いた。町職員の説明では、土石流発生時の降雨量は2日間で300ミリとのこと。以後、私は降水量の予報を気に掛け、300ミリを目安に避難しようと準備している。
立ち上がる人間の勇ましさ、へこたれない力を学ぶ
  • 笠岡市、男子高校生(17)
     僕は当時中学3年生。友達からの写真には学校の校門が水に漬かっている光景が写っていて、不安でいっぱいになりました。水が引き始めた日から先生や保護者、自分の家の片付けが終わっていないであろう学校周辺の方々が学校を元通りにしてくれました。僕は卒業式で答辞を読み、皆さんへの感謝を述べました。命をも奪う悲惨な出来事でしたが、そこから立ち上がる人間の勇ましさ、へこたれない力―。学ぶことがたくさんありました。
価値観変わり、工夫して生きる
  • 倉敷市真備町尾崎、主婦青江知子さん(71)
     西日本豪雨で自宅が全壊し、多くの方々から道具や衣類をたくさん頂きました。中には私の好みではない服もありますが、感性を呼び起こして組み合わせ、大切に使ってファッションを楽しんでいます。大事な仏壇(だん)が流されてしまい、亡き両親の家で見つけた「茶だんす」に位牌(いはい)や写真を収め、花を飾りました。友達は「アンティークで、すてきな仏壇ね」と。西日本豪雨以降、私の価値観は変わり、工夫して生きるようになりました。
近所とのコミュニケーション大切
  • 倉敷市真備町辻田、男性団体職員(44)
     救助ボートに一緒に乗らなかった、いつも畑の野菜をくれる1人暮らしの隣のおじいさん。翌日、まだ少し浸水しているものの、おじいさんのことが気になり帰宅した。無事でほっとした。猫と一緒だからか、「避難所に行かない」と。私も在宅避難をすると決心した。辺りは真っ暗、ひどい異臭、異様なまでの静けさ。あの連日連夜は生涯忘れることはない。ご近所さんとの日頃のコミュニケーションが有事の際にはきっと大切だと思う。
一日も早い復興と平穏を
  • 津山市西寺町、泰安寺住職、安田大智さん(42)
     津山市内では津山城跡と当寺の大名墓が被災しました。修復に当たって津山藩主松平家7代藩主の弟の墓と判明したことはありがたいことです。行政と檀(だん)信徒の力で復旧を遂げた墓ですので、永く大切にしていきたいと思います。あれから3年、被災により命を落とされた方、家屋が流された方、いまだに避難生活を余儀なくされている方もいますが、一日も早い復興と平穏を願っています。
支援物資のありがたさに感謝
  • 岡山市東区、女性パート職員(54)
     自衛隊のヘリコプターの音、消防車のサイレンの音、土埃(つちぼこり)の臭い。戦争を体験したことはないけれど、戦場はこんな感じではないかと思いながら、倉敷市真備町地区で被災した実家の片付けをしました。ボランティアの方々には暑い中、本当にお世話になりました。また支援物資のありがたさに感謝です。普段から災害に備えて生活することを心掛けています。
結婚式当日だったあの日
  • 岡山市中区、女性保育教諭(31)
     結婚式当日だったあの日(7月7日)。支えてくださった方々に感謝を伝えたい。悔しさに寄り添いながら、楽しく延期の計画を立ててくださった担当プランナーさん、式場の皆さん。いつも通り迎え笑わせてくれた家族。遠方から何とか駆け付けようとしてくれた親族。式の延期について新聞に投稿してくださった先輩。延期を期待してくれた友人。これから先何があっても、この感謝の気持ちを忘れず夫婦円満に過ごしていきたい。
“命”だけは助かった
  • 岡山市北区粟井、主婦横田和子さん(69)
     倉敷市真備町地区で被災した義姉夫婦が避難した総社市の施設へ車で迎えに行った。夫婦は私の家に取りあえず避難することに。明日からの生活のため買い出しに。思いは皆同じで、どの店も長蛇の列。翌日からは暑い中、都合のつく親戚と連絡を取り合い、片付けに日参する。おにぎり、麦茶、畑のプチトマトが昼食。義姉夫婦宅では車4台が水没し、1階も浸水した。それでも“命”だけは助かった。皆さん、ありがとう。
駆け付けてくれた全国の方に感謝
  • 倉敷市真備町妹、会社員武本智宏さん(44)
     7月7日夕方。わが家はようやく水が引きつつあったものの、周囲には孤立状態の家もまだ多数ありました。夕暮れ時が近づいても疲れて何をする気力も湧かない。そんな時、西の方からものすごいサイレン音が響いてきた。外に出ると奈良県から来てくれた何十台もの消防車や救急車。速やかに孤立していた方々を救出してくださいました。ようやく助かったという実感が湧きました。駆け付けてくださった全国の方には感謝しかありません。

得たものは「人の心・愛の手」
  • 岡山県矢掛町浅海、中川公民館長、高月憲二郎さん(74)
     水位が床上151センチに達した矢掛町の中川公民館。炎天下の中、異臭や汚泥に悩まされながら、小中学生をはじめ、多くの方々からご支援をいただき感謝の念に堪えません。皆さんの姿が昨日のごとくよみがえってきます。災害で失ったものは多かったですが、得るものはこれ以上に大きかったです。それは「人の心・愛の手」です。温かいご支援に何のお礼もできないままですが、公民館活動で恩返しができたらと頑張っている日々です。
雨の中で鳴いていた子猫
  • 倉敷市児島稗田町、主婦(62)
     豪雨の対応に追われて職場から帰宅すると、わが家に子猫が1匹いました。まだ生まれたばかりでミルクも飲めないくらいです。娘が雨の中で鳴いていたのを発見して連れて帰ったのです。飼う気持ちはなく、それから数日は家族全員で“里親”探しをしました。引き取り手が見つからず、世話をするうちに情が移ってきてしまいました。結局はその子猫はそのままわが家に住むことになりました。今では一番大切にされています。
人生の先輩の懐の深さに、敬礼!
  • 岡山市北区、女性会社員(42)
     忘れられない光景がある。倉敷市真備町地区の実家が被災し、たくさんの友人、知人が駆け付け泥まみれで作業する中、1人のご婦人がおもむろにお茶をたて皆に振る舞い始めた。悲惨な状況に相反する光景が理解できなかった。しかし、促されるまま私も頂いた。その抹茶は本当に苦かった。でもその苦さが「呼吸を整えろ! 生きていけ!」と背筋を伸ばしてくれた。今思えば最高の粋な計らいだと思う。人生の先輩の懐の深さに、敬礼!
びしょぬれの長男に服まで貸してくれた
  • 岡山県矢掛町、女性会社員(50)
     3年前の7月6日の夜中。長男が帰宅途中、倉敷市真備町地区で車ごと水没しました。奇跡的に脱出でき、そのまま流された先のお宅に、助けてほしいとお願いして家に入れていただけました。そのお宅も浸水し、他人どころではなかったと思うのに、びしょぬれの長男に服まで貸してくださいました。長男は今、社会人として頑張っております。私たちは本当にたくさんの方に助けていただきながら生きているのだなと改めて実感しました。
足を守る靴も大切
  • 岡山市北区西古松、会社員上野明さん(55)
     熊本地震で実家が被災したのに加え、西日本豪雨ではスリッパで避難所を訪れた人を見て、災害対策シューズを会社で企画。6月に商品が完成しました。非常用持ち出し袋や水・食料の準備をしていても、本当に大切なのは「命を守る行動」。被災直後の初動が重要と考えます。ヘルメットや軍手と同様、足を守る靴の重要性を理解してチェックリストに記載し、この機会に家庭で再度、災害対策について話をしていただきたいです。

耳を傾けてくれた消防隊員
  • 倉敷市真備町箭田、主婦(34)
     7月7日午後、水没した自宅から救助していただいた際、ボートの都合で母だけ自宅に残ることになりました。その後、母を心配していた時に1人の消防隊員の方が「話を聞きます。こちらへ」と大変な中、耳を傾け、母の救助に声を上げてくださいました。本当にうれしかったです。お名前も、どちらから来てくださったのかも存じないままです。忘れることのないあの日のこと、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
真備も家族も私も元気です
  • 倉敷市中島、会社員山崎貴史さん(36)
     私の実家は倉敷市真備町辻田にあり、西日本豪雨で被災しました。復旧のため毎日行っていましたが、次第に体がしんどくなり、その後白血病と宣告されました。厳しい闘病生活が始まり、再発、解雇を経験し、現在は無事社会復帰できました。直接被災していませんが、あの出来事から人生が180度変わったことに違いはありません。一日を精いっぱい生きられることに感謝し命の尊さを改めて実感しました。真備も家族も私も元気です。
家族を守ろうと命を燃やし尽くした忠犬
  • 笠岡市入江、会社員原津尚丈さん(50)
     笠岡市北川地区で床剥がしのボランティアをしていた時の話です。家主さんが「家に警察犬になれるような犬がいて、水が来た時にリードを外したのに、水が引いた後に家の中で死んでいるのを発見した」と不思議がっていました。私は「賢い犬なので危険を感じて、皆に知らせるために家の中に入ったのでは」と伝えました。家主さんは涙ぐんでいるようでした。家族を守ろうと命を燃やし尽くした忠犬がいたことを、私は忘れない。
愛犬と避難所へ
  • 倉敷市真備町川辺、友杉公一さん(78)
     大雨の中、総社市のアルミ工場爆発の大爆音。道路で一夜、その後避難所を転々とし、愛犬と同伴できる吉備路アリーナ(同市)に。2、3日して冷房完備の同市庁舎に移りました。ペット同伴の部屋がある避難所は全国でも珍しかったようです。食事は3食仕出し店より届き、保健師が定期的に回診し、獣医師も訪問。市長は体調や要望を聞いてくださいました。53日間の避難生活は不自由なく過ごせ、人の温かさ、優しさを実感しました。
復活した集会所
  • 倉敷市真備町尾崎、主婦大重久誉さん(71)
     小田川堤防を今日もダンプが行き来しています。私の住む団地はあの時、町内会を解散。廃虚化した町を含め自宅はもちろん、集会所も復興、復活の思いはありませんでした。しかし、なぜかここに住みたい気持ちが湧いてきました。解体、補修、建て替えの考えが時間とともに前向きになりました。そして皆さんのお力で集会所も完成しました。当たり前の生活に感謝し、ボランティアの方々にお礼を申し上げます。

大好きな祖父母へ、ありがとう
  • 倉敷市真備町箭田、会社員大西美里さん(27)
     母方の祖父母へ。あの日、家が漬かってしまった。そう連絡し、現実を受け入れられないまま私だけ祖父母の家に行くことになった。泥や汚水で汚れた格好で家に行くと、温かいお風呂と温かいご飯を用意して迎え入れてくれた。今でもその日のことは鮮明に覚えていて、涙があふれそうになる。そこから2カ月半、一緒に生活をした。感謝しきれないほど、たくさん助けてくれたし、たくさん支えてくれた。大好きな2人へ、ありがとう。
戻る