INTERVIEW

- 西日本豪雨 その時地元紙は -

(写真はコロナ禍以前に撮影したものもあります)

「真意を伝えるために」

 西日本豪雨からの復興を追う年間企画の2年目が動き出したのは、2019年9月のことでした。最初の1カ月、各部から企画班に集った記者4人で、甚大な被害に見舞われた倉敷市真備町地区の被災者約100人から聞き取りを行いました。今、何に困っているのか、どんな思いで過ごしているか。あの日濁流にのまれた町は堤防が修復され、無残な姿となった家々は建て直されています。一見すると被災前に戻ったかのように思える中で浮かび上がったのは厳しい現状でした。住宅の二重ローンを長い年月背負っていく家族、住み慣れた故郷を離れ体調を崩した老夫婦、必死の思いで全壊した店の再開へこぎつけた店主…。人々は闘い続けていました。


■人と向き合う

 出会った中に、安らぎの場である家を失い、幼い娘を抱えて将来を模索するシングルマザーがいました。彼女のもとに10回ほど通いました。どこで生まれ、どんな子ども時代を過ごしたのか。何を大切に生きてきたのか。毎回1~3時間。時には娘さんと遊びながら取材を重ねました。彼女自身を知るための時間でした。

 仕事、家事、子育て、そしてこれからをどう2人で生きていくか、全てが彼女にかかっています。同じく家庭を持つ身として、その負担感はよく分かりました。共感できるからこそ、悩みました。何度も会いに行って迷惑じゃないのか、根掘り葉掘り聞かれて嫌にならないか、どこまで書いていいのか。

 記者は話を聞くだけではありません。相手の心の内を文章にし、伝えるのが仕事です。言葉の使い方や選び方、構成次第で、ニュアンスは微妙に変わります。「書いてくれてありがとう。この通りじゃわ」。記事を読んだ後の彼女の言葉が、抱えていた悩みと迷いをすっと溶かしてくれました。


■思いをくみ取る

 時間の経過とともに、世の中では西日本豪雨が「過去」にされつつあるのかもしれません。でも現実には、もがいている人たちがまだたくさんいます。取材相手の一人に言われました。「誰にでも話せることではないから、聞いてもらえてよかった」

 確かに被災前に近い生活を取り戻した人もいます。一方で、思いを口にできずどんどん追い詰められている人がいることも痛感しました。

 1月に始まった連載は6月に終了。言葉にならない思いをくみ取り、真意を伝えることに力を注いだ9カ月間の取材、執筆でした。相手に誠実に向き合うことの意味を、これからも考え続けたいと思います。



田村 柚乃(たむら ゆずの)

編集局文化部

2016年4月入社。文学部卒。報道部政治班(岡山市政記者クラブ、まち取材班)、経済部を経て23年9月から現職。19年9月から、豪雨をテーマにした年間企画班の一員として取材に当たった。